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2013年05月29日 Wed

この国の家のかたち

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いま、わたしたちが建設現場で見かける住宅は、ほんとうに日本の家といえるのだろうか? 現在建てられている工業化住宅は、日本の大工職人たちが、長い歴史を経て継承してきた家とはかけ離れている。

事務所の裏で、建売住宅が4棟建ちはじめたと思ったら、あっという間に出来てしまった。最近の家は完成が早い。完成すると、外も内も木は見えない。外壁は窯業系パネル。室内はビニールクロス。これで一丁上がり。単純で分かりやすいが、いったいどれくらいのつくり手の想いがあるのかわからないほど簡便にできている。

一応、木材が骨組みの時に見えたのだから木造住宅だ。しかし、出来上がった家は、どこの国の建物なのかわからない。このような家が都会だけでなく日本全国同じように建ち、同じ風景になってきている。今や気候風土に関係なく、住まい手の望みともいえない無国籍な家々が日本中を席巻している。

これからの日本の家はどこに向かうのか? 日本の町並みや風景はこのままでいいのか? 優れた職人技術を生かすことはできないか?

かつての民家のような、気候風土に根ざした美しい日本の家をつくろう。 秩序と調和のある町並みをつくろう。

さらに建物の工法に話を移すと、なお混沌とした課題があることが分かる。

例えば、現在普通に建っている木造住宅の胴差しは、明治以前にはなかったと聞いたら実務者は驚くだろう。胴差しは、明治期に二階建ての校舎や庁舎を建てる折りに必要になった部材であり、江戸期の民家の二階建てには使用されてこなかったことがわかっている。

筋交いも明治以降の部材である。もともと筋交いは、三角形不定の理から生まれたトラス構造であり風対策であったという。それが壁量規定の流れの中で耐力壁に移行した。風は上から吹くが、地震は下から揺れる。だから柱が石の上に載っていて、足元が止めつけてなかったのではないか?

そのような経緯の中、衰退した貫や足固めは、地震国日本の粘り強い家をつくる知恵と工夫の部材であったはずだ。

いまもむかしも大切な部材であるが、現状では使われなくなってしまっている。本来ならば大きな変形にも耐え復元力を持つ貫は、なくしてはならない部材だ。むしろ胴差しはないほうが、地震時には建物はゆったりと揺れ、柱は折れないかもしれない。足元は、ずれた方が安全だ。

現在の日本の家づくりは、架構から構法まで和と洋が折衷されている。いま、整理しなければならないのは、木の特性を生かした構法や性能である。いまこそ採り入れるべき、災害や気候風土に対する優れた性能の知恵や工夫は、すでに日本の古民家と伝統的な木組みの中にある。

古民家や伝統の木組みをノスタルジーとして語るのではなく、この国の家の未来をつくる「新たな仕組み」として採り入れるべきだ。